ウチは〜外 外は〜ウチ

今日は

思想家な気分、、、、、。

アゲアゲな気分から一転しております。

結果を出さなきゃいけない  とか

形にしないといけない  とか

やっぱり窮屈だな。

内側とアクセスできてないよね。

「いけない」ことって窮屈だな。

文筆家の池田晶子さんの本で道徳と倫理の違いを言っていて、

以下は私の解釈なので、ざっくりとなんですけど、

道徳は 外から抑制、禁止させられること

倫理は 内側(自分の内面)から抑制が起きること。

この違いは大きいよね。

外から抑制される場合って、

もう、それをやりた〜い!が含まれている感じ。

内側からの抑制って、

誰がなんと言おうとも、したくない!!って感じ。

なんなら、抑制でもないかもね。

って考えると、道徳って意味ないな〜。って気分になるな。

もう、その「やりたい」って思っちゃってることが、

そこが!そこじゃん!ってね。

内側を清くしていけたらいいね。

清くってわからないけど。

そして、ウチは外 外はウチ。

これからこう言いながら節分に豆まきするといいよね。

ブログタイトルでもあるのだけど、

「わたしは宇宙」だからね。

わたし(内側)が

そのまま 宇宙(外側)だもんね。

ありがとうございます。

 

ぜんぶ雪のせいだ

怒りについて

 

怒りは反応

 

他の物事に怒りを感じてるようで

 

自分が

自分の中にある何か

に反応して怒ってるんだよね。

 

色々な変換の仕方で出てくるだろうから、千差万別な訳だけど、

 

怒りのタネは自分の中にあるんだよね。

 

それを、外にあることにしてた方が

自分としては

楽だからさ、

怒るんだけど、

結局、そこといつかは対峙することになるんよね。

 

それといつ対峙することになるかは

 

宇宙しか分からないし

 

なんなら

 

怒りのポイントやらも

 

反応

 

なんだから

 

宇宙しか分からないよ。

 

だから、

 

怒ればイイ!!!!

 

シューシュー煙出せばイイ!!

 

最近わたしも

 

よくシューシューしてた。

 

全て、

 

ライオンズゲートのせいにしたよね。

 

 

「ぜんぶ雪のせいだ」

ならぬ

「ぜんぶ星のせいだ」!!!

 

ぜんぶ星のせいだはわたしの大好きな友人の言葉だけんども、

 

これ言われてすごい楽になった。

 

だって、自分でやってることなんかないんだよー。

全部、宇宙に思わされて

全部、宇宙に行動させられてるんよ。

 

このブログもね。

 

 

では、皆さま

 

ご一緒に!

 

「ぜんぶ星のせいだ!」

すずちゃんもビックリだよね。

幸せになれてしまったんだ

ノンデュアリティスピーカーのなごみさんが言ってたんだけど

 

幸せに成れないんじゃない

幸せに慣れてしまったんだ

 

 

うーーーーーーむ

 

深い!!

 

そう思うよ。

 

なれちゃうんだよね。

 

環境に慣れてしまう。

 

でも仕方ないよ。

 

宇宙は拡張したがるし、

 

それに伴い、人は拡張すべく、欲してゆく。

 

欲するコトは拡張で

宇宙が望んでいるコトだ。

 

でも、幸せに成れてないんじゃないっていうのは同感。

 

いつだって宇宙は愛だから。

 

幸せでしかない

 

ただここでいう「幸せ」は

 

人の言う「幸せ」ではないかもね。

人は相対でしか

幸せを計ろうとしない癖があるからね。

 

わたしは仕事柄(ブライダルのカメラマンもしてます)

 

お幸せにって言うコトが多いけど

 

毎回、

 

思うよ。

 

幸せでしかないけどもね!!

ってさ。

 

お幸せに…って定例文だから使うけど、

お幸せにって失礼だなって、時々思うよ。

 

もう、幸せじゃ!!!

 

って思ってるんじゃないかなってさ。

 

お幸せにって、

苦労ややなコトある前提が含まれてるかんじするよね。

もっとイイ言葉を考えてみようと思うよ。

 

お幸せでしかないですね!!

 

とかイイね。

 

幸せ限定人生。

幸せ前提人生。

 

本来、全人類、全宇宙がそうだけどね。

 

今日も幸せだなぁって

加山雄三ばりに鼻さすりながらみんなで言おう!!

 

今日も幸せだなぁ。。。

恐怖の正体をハラに聞く。

恐怖の正体を

ハラに聞いてみようと思う。

恐怖とは

「得体の知れないものに対して起こる反応である。」

「得体の知れない」もの、、、。

その事象から「得る」であろう体感が「知れない」から

怖いのだ。

結局、怖いとは「知ることできない」という、

「予測できない」ということが怖いのだ!!

以上より、

恐怖とは、幻想であり、妄想であり、役に立たないものだ。

シカトしていいものだ。

とハラは言っておりまする〜。

予測できないってことだけ見たら、

もう、毎瞬間、次に起こることは予測できないわけで、

なのに、

日常には恐怖を感じない。

おかしいでしょう〜!!

私の感覚もあなたの感覚も、おかしいでしょう?

同じことですよ。

例えば、「仕事を辞めるあした」も「仕事を続ける明日」も

「誰かと別れた明日」も「誰かと別れていない明日」も

「何かする明日」と「何もしない明日」も

未知には変わりないのですよ。同じことなんですよ。

「未知」に対して、恐怖を感じるのなら、ずっと恐怖を感じなくてはいけない道理になりますよね?

恐怖は、そういうものだった。

「未知」、「道」

同じく読み方は「ミチ」、、、。

「道(タオ)」じゃないですか!!!??

「未知(ミチ)」は「道(ミチ)」であり、

『道(タオ)』なんですよ!!!

混沌とした、全てを可能性を含んでいる、希望も絶望も入り混じる、何もかもがそこに含まれているという、あの「道(タオ)」ですよ。

言葉にはできないと言われている、あの、「道(タオ)」ですよ。

全ては大丈夫なんですよ。

宇宙はうまくしか回らないようにできてるんだよな。

恐怖があるなら、恐怖を噛み締めればいい。

噛み締められた恐怖は、消えてゆくしかないのだから。

全ては、現れては消えてゆくのだ。

#宇宙#タオ#恐怖の正体

 

何度でも悶えればいいさ

今朝のブログ書いたら

何かが緩んだ!

自分に向けて書くのイイみたい。

自分で自分を癒すのだ。

外に癒しはないのだ

というか

内は外で

外は内なのだ。

わたしは宇宙で

宇宙はわたしなのだ!

嗚呼、

納得。

そしてまた、

これを忘れて

悶えるのかもしれないが

何度でも悶えればよいさ!

何度でも思い出してあげるよ

百代くん!

頑張りたまえ。