自己否定は時代遅れ〜恋と愛について〜

自己否定は時代遅れらしいですよ〜。

時代遅れっていうのが、とてもいい表現。

令和になった瞬間にやっぱり時代変わった感じしましたものね。

 

自己否定といえばね、

好きな人に、自分の心の内を話せないとか、

言いたいことを言えないとか、

言ったら、嫌われるんじゃないか、、、。

とか、ありますよね。

それって、恋なんです。

恋ということはね、

下ゴゴロなんですよ。

下ゴゴロがあるから、そういうことになるですよ。

そして恋は盲目なんですよ。

真実を見ようとしていない。

真実が見れない。

盲目ということは自分のことも、相手のことも見れてないのですよね。

下心で盲目な恋に待っているのは、ワンチャンの夜だけですよ。

もう、自己否定が時代遅れの世の中で、

こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか?

とか、ナンセンスなんですよ。

センスがないのですよ。

ヴィンテージと言えないお母さんの若い頃の服をそのまま着ちゃった感ですよ。

そして、言いたいことを言った時に待っているのは

 

愛です。

もし、言いたいことを言って嫌われたとして、

言いたいことを言えない人と一緒にいる必要なんてないじゃないですか?

素敵なあなたの時間をそんな人に使う必要ないじゃないですか?

言いたいことを言って、

別れが待っていたとしても、

それは愛の結果でしかない。

お互いに心が中心にある状態ですね。

心を中心に肚決めて

自分出していこう〜!!!

ありがとうございます〜

恐怖の正体をハラに聞く。

恐怖の正体を

ハラに聞いてみようと思う。

恐怖とは

「得体の知れないものに対して起こる反応である。」

「得体の知れない」もの、、、。

その事象から「得る」であろう体感が「知れない」から

怖いのだ。

結局、怖いとは「知ることできない」という、

「予測できない」ということが怖いのだ!!

以上より、

恐怖とは、幻想であり、妄想であり、役に立たないものだ。

シカトしていいものだ。

とハラは言っておりまする〜。

予測できないってことだけ見たら、

もう、毎瞬間、次に起こることは予測できないわけで、

なのに、

日常には恐怖を感じない。

おかしいでしょう〜!!

私の感覚もあなたの感覚も、おかしいでしょう?

同じことですよ。

例えば、「仕事を辞めるあした」も「仕事を続ける明日」も

「誰かと別れた明日」も「誰かと別れていない明日」も

「何かする明日」と「何もしない明日」も

未知には変わりないのですよ。同じことなんですよ。

「未知」に対して、恐怖を感じるのなら、ずっと恐怖を感じなくてはいけない道理になりますよね?

恐怖は、そういうものだった。

「未知」、「道」

同じく読み方は「ミチ」、、、。

「道(タオ)」じゃないですか!!!??

「未知(ミチ)」は「道(ミチ)」であり、

『道(タオ)』なんですよ!!!

混沌とした、全てを可能性を含んでいる、希望も絶望も入り混じる、何もかもがそこに含まれているという、あの「道(タオ)」ですよ。

言葉にはできないと言われている、あの、「道(タオ)」ですよ。

全ては大丈夫なんですよ。

宇宙はうまくしか回らないようにできてるんだよな。

恐怖があるなら、恐怖を噛み締めればいい。

噛み締められた恐怖は、消えてゆくしかないのだから。

全ては、現れては消えてゆくのだ。

#宇宙#タオ#恐怖の正体

 

何度でも悶えればいいさ

今朝のブログ書いたら

何かが緩んだ!

自分に向けて書くのイイみたい。

自分で自分を癒すのだ。

外に癒しはないのだ

というか

内は外で

外は内なのだ。

わたしは宇宙で

宇宙はわたしなのだ!

嗚呼、

納得。

そしてまた、

これを忘れて

悶えるのかもしれないが

何度でも悶えればよいさ!

何度でも思い出してあげるよ

百代くん!

頑張りたまえ。

池田晶子にぶん殴られて

ここのところ開いてなかった

池田晶子さんの本を読んだのですよ。

数ページ。

やっぱりすごくて、

ぶれない強さをくれる。

本質をげんこつのようにぶっ放してくれて

なんか目がさめるというか、

風呂上がりのスッキリ感。

戻してくれるんですよね。

フラフラしちゃう心を。

もうちょっと読もう。

#池田晶子#真理

意味

「こんなことして何の意味が?」

「意味がわからない」

とか、、、。

よく耳にする言葉ですね〜。

全てに意味を持たせたくなる。

前後、原因と結果、過去と未来、いわゆる分離がないと「意味」は生まれない。

この二元の世界に暮らしているならば、

分離がなくては生きてゆけないし、

これらから逃れることはできない。

「意味」を求めるのは必然なのか~!!!!

と妙に納得の朝。

百代

問いが湧くと答えが湧く

タイトルそのまんまですが

問いが湧くと答えが湧くようにできているのだと思う。

 

問うと出てくるでしょう??

グーグル先生とかすぐに答えてくれる。

 

二元は用意してくれるのだ。

答えを。

そして実は問い続ける事こそが生きるということ。

 

百代

 

#真実#非二元

ひっそりブログ

かなりひっそりとブログをやってる感じで、

誰も読んでないかもしれないと思うと、

空中に言葉を投げている感じで、

孤独のような、虚無のような、安心感のようなものを感じるわけですが、

実は、

生きているということそのものが、

こういう事なのかもしれないとも思う。

つまり、

各方面の覚者の言う通り、

「誰もいない」

「わたしはいない」

「色即是空」

であるならば、

この動きそのものが、真空に毎瞬間に溶けてゆくものであるような。

誰かに必要とされたいとか

誰かに愛されたいとか、

その問いの前に

答えを出した方が賢明である事柄があるのだけれど、

人はその問いを

近すぎる問いであるがゆえにすぐに忘れて先に進もうとする。

ああ。真面目に書きすぎたな。

誰かこれ読んでるの??

百代

 

 

#悟り#色即是空#仏教

#わたしはいない

アドラーと全受容

おはようございます。

 

百代です。

 

ここにあるエネルギーが

この全てとして

現れていて

全てが全てに影響し合っている

のだ

と感じた。朝。

アドラーに出てくる共同体感覚とは

非二元的感覚なのではないか?

存在そのものに対する全受容、

全てを仲間と究極的には

感じられるであろう、その感覚とは。

 

まさに!

 

避けるべきものなど

ないのだ。

うむ。

何かが繋がりそうなんだけどなぁ。

もうちょいだなぁ。

 

#アドラー#非二元#ノンデュアリティ

#悟り

わたし しか いない

上手く伝えられそうにないけど、やってみるね。

結果から言うと、わたししかいないよね?翻って、わたしもいないよね?

っていうことなんだけど、

この世の中に自分がいるって思ってますよね?

「自分」と「世の中」があるって。思ってますよね?

でも、この世の中の全てを認識するのは、自分の目であり、耳であり、手であり、舌であり、、、。いわゆる五感ですよね?六感の人もいるかな?

まあ、何感あってもいいわけですが、

とにかく、なんというか、窓口は全てここにある自分のところですよね?

この、ここにある、自分の五感でしか世界を認識できないのですよね。

全て、全て、あなたが感じた、認識したものでしか世界は構成されてないんです。

世界とわたしは分離されてないんです。

結構、これに気がついた時、衝撃だったんだけど、どうかな?

これが真実かどうか知らんけど、真実に近いこと言うてると思うんだけどな。

わたしがいない については、また今度。

百代

自業自得

自業自得

自ずの業で自ずが得る

面白い!!

おそらく

自分の蒔いた種でなったものは

自分が得ることになる

という事だと思うけど

どっからが自分の蒔いた種なんだろう?

こういうことを考え始めると

ホントにいつも

ビックバン、地球誕生まで思考がいって

しまうのだが…。

みんな

自分で種が撒けると思ってる。

ホントに蒔いたの貴方かなぁ?

わたしや貴方自体が撒かれた種の方なんじゃないかと…。

宇宙が蒔いた種を宇宙自身が得ている。

これが一番しっくりくるな。

百代