お金が大好きなんだ〜!!!
これ、
わたしのタブーだった単語。
こんなことを言うのは意地汚いって思ってた。
わたしが今「お金は何か」って思っているかと言うと、
わたしは、今、お金を
『誰かの魅力のエネルギー体』
と捉えている。
少し前までは
『労働、辛抱、の結晶』
捉えていた。
本当は違うんだよ!!!
そう考えると、いろいろ納得いくことも多い。
例えば、ブランド品。
同じバックやろ?って物にあんなに価格の差が出るのは
「ウチの魅力、このくらいのエネルギ〜なの。」
って言われて、
「本当ですね!!!」
って思えた人はそのエネルギーを
自分のエネルギーで得たエネルギーで買う。
うまく伝わってるかな?
(文章、まだ上手くないな。)
エネルギーの循環がされているだけなんだよね。
もう、みんな言ってることだけども。
その昔、友人に、「百代の写真を値切りたくない」と言って、
大親友のくせに、正規の金額をわたしに支払ってくれたことがあって、
わたしは、「労働、辛抱の結晶」がお金だと思っていたから、
大親友の写真を撮ることは、「労働、辛抱」ではないのに
申し訳ないって思っていた。
もっと言うと、相手が得ているお金に関しても、
あなたの「労働、辛抱」の結晶を搾取してごめんね。
と思っていたのだ。
伝わってますか?
でも、この出来事で、わたしのお金に対する考え方のピースが大きく動いた。
オセロみたくパタパタと裏返っていくのを感じてもらえたらいいのだけれど。
「労働、辛抱」の結晶がお金だと思うと、
お金を、愛せない。
「誰かの魅力」のかたまりだと思ったら、
お金が愛おしくて、頬づりもんですね。
「お金がない人は、魅力の出し惜しみをしている人だ!
出し惜しみしているから、入ってこない」
とセレラボを主催中のパールちゃんと船長が言ってて、
これは、もう、わたしにとっては革命的な
ずっドーンとハラに落ちた言葉で。
なるほど!!と悶絶した。
そして、魅力とは
当たり前のように千差万別みんな持ち合わせていて、
魅力がない人はいない。
(これ、いつも言ってる。フォトセッションの時、いつも言ってるやつ〜!)
魅力が自分には足りないと思っている人がいるだけなのだ。
魅力がない人がいないってことは、
お金は「魅力のエネルギー体」なのだから、
お金持ちになれない人はいないっていうことなのだ!!!!!
ふぅ〜!!!!!
みなさん、
一億総億万長者の時代がとうとう到来いたしました〜!!!!
ありがとう